昨日、5月7日(金)の実行委員会で第30回研究集会のオンライン化について話し合われた。で、ホームページが必要であるということからこの作りかけのホームページを使ってみてはと提案してみた。
いよいよ人権と共生の会も新しい時代に突入するということだろう。
と同時に、ICTというのはすでにリテラシーの問題となってしまったということである。かつて東京で貧民小学校として万年小学校の設立経営を指導した坂本龍之輔は若いころに学校に来られない子どもたちのために文房具を用意したという。読み書きのための道具としてのノートや鉛筆を用意しなければ、そのころは読み書きから疎外される人たちがいたということだろう。
現代のICTというのも同じことだろう。パソコンがノートや鉛筆になったということだ。しばらく前だと大学でもパソコンを持っていない学生がいることを前提に講義をおこなっていたし、高校以下ならばなおさらであったはずだ。しかし、コロナウィルスによる感染症の蔓延の所為でオンライン授業がおこなわれることになった。会議や研修などもオンラインでおこなわれるようになり、テレワークといわれるものが広まってきているし、その意味では働き方自体も変わることになると思う。アフター・コロナというのはそういうことなのである。
一方で、現代のノートと鉛筆であるIT機器を持たない人たちを置き去りにすることはあってはならない。そこに人権教育の新たな役割が出てくると思う。子どもたちがIT機器を自由に正しく利用できるような教育が求められているし、教員はそのための努力をして自らの資質を高めなくてはならない。頑なに手書き・手作りにこだわり、ICTを拒否する生き方もあるだろう。しかし、それは自然主義者として自給自足の生活をしようという(これは一般社会からの隔絶を意味する)特殊な生き方の問題であって、現代社会のあらゆる場面で生きていかなくてはならない子どもたちに対する支援にはならない。
もちろん、自給自足の基本原理は生物としての人間は経験的に学んでもらわないとならない。しかし、学校ではさらに社会生活も学んでもらわなくては学校の意味はなくなる。
しかし、パソコンは決して安くはない。これを手に入れることは国民にとっては権利になりつつあるといってもいいだろう。パソコンというと敷居が高いのかもしれないが、スマホは相当普及している。スマホ代を税金で用意しろという声は聞いたことがない。なので、そこに便乗して言うが、スマホは小さなパソコンである。あ、パソコンという言葉も「パーソナル・コンピューター」の略だから、小さなコンピューターということになる。その手のひらコンピューターのスマホを活用してICTに参加できるように工夫するのもICT教育なのではないか。
今回の研究集会をオンライン化することで多くの疎外者を生み出してはならない。オンラインで予定しているyoutubeはスマホで参加することができる。そのわかりやすいマニュアルも必要なのだろう。(新谷)
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